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虹の書斎

花散策文や詩、音楽やスポーツ、健康や時事関連等心の赴くままに記しています。

黄色いスーパームーン

昨日は冷たい雨降りとなり、

関東ではスーパームーンが見えない空模様。

少し前からニュースでも取り上げられていたし、

月に思い入れのある自分としては、

見れないことは残念だった。

 

ただ前日の日曜の宵に、

ほぼ満月の形のやさしい黄色のスーパームーンが、

きれいに夜空に浮かぶ様は見て過ごせていたので、

気持ち的には満たされていた。

ウォーキングに出たのは正解だったよなぁ…などと今も思っている。

 

確かにいつもよりも大きいな…

ポワ〜ンホワ〜ンとしてる…

 

肉眼でも大きさの違いが分かる、ほぼ満ちていたスーパームーンは、

薄いモヤのような雲が少しだけ上空にかかっていたため、

冴えてスッキリ銀色という月ではなくて、

やさしくてほんわか、プックリというか、

なんだかあたたかな月だなぁ…と思わせるものだった。

 

歩く歩調もいつの間にかゆっくりになるようなその雰囲気は、

例えば、丸みのある女神さまの微笑んだお顔とか、

日本マンガ昔話で描かれるお地蔵さまのにこやかなお顔とか。

どこかそんなポヨンとした親しみのある風情と少しの畏怖…

の感触にも似ていて、

夜空からの光は明るくもまことにやわらかに、

淡い黄色のはちみつの色をしていた。

 

 

新月、三日月、上弦、満月、十六夜、下弦…

new moon、crescent moon、full moon…

約ひと月かけて、形を変えながら移ろう月は、

古今東西、その相…フェイズに合わせて独自の命名が為されているが、

それは、いかに世界各地で月の存在や影響が認められ、

また崇敬され愛されてきたかの裏返し、と言えると思う。

人々の月に込める思いが、

それら名前の数の多さや多様さによく表われている。

 

存在感の輪郭がどことなくあいまいで、

デフォルトはどれでどこなのか、基本が定かではない月。

情緒や感情、無意識や、生殖といった、

形では捉えがたい人間の側面と関連付けられたり、

一方では漢字の成り立ちからか、身体を支配する側面も匂わせる。

そしてさらに、夜を支配する神秘性や、

女性的・母性的な神性を宿す象徴のような役も付与されてきている。

 

太古の昔から、世界中の人々が、

そんなふうに多面的で魅惑的な月を見て、

その人なりの月物語を紡いでは生きる寄る辺としてきたのだろう。

一つであっても顔かたちを変えては、

人の心に、人のその時その時に、いろいろに語りかけて、

月はきっと、

慰め、宥め、涼め、癒し、整え、和め、そして昂めてくれたりしたのだろう。

 

とりわけ、まだ世界に電気がなかった頃。

底無しの当て所なさに怯えてしまいそうな夜の闇を、

形にしてみせ五感に親和させる月のやさしさや尊さ、

夜を照らす月とその月明かりは、

今とは比べようがないほどにかけがえがなく、

まさに救いの存在だったことと思う。

 

日曜の晩に見たような、

あたたかみがあって、ふっくらとした印象の満ちゆくスーパームーンがもし、

そんな昔々のある日の夜空に浮かんでいたらどうだったか。

 

まるまるした月が平和なまろみやゆとりとなって、

夢のように地上の人たちにただただ届き与えられて。

淡いはちみつのように、おだやかな黄色の月の光にさらされる夜は、

闇を気にする必要のない安心感に包まれて…。

 

きっと日本のご先祖さん達は月の光に守られながら、

夜空を仰ぎ月を愛でて、宴を開いたりしたのではないだろうか。

しあわせトーンのスーパームーンの下、

美味しい酒で楽しく過ごしたのではないだろうか。

 

 

月見酒とウォーキングとではだいぶ趣が違っているけれど、

月光浴しながら歩く宵は格別で、

まさに贅沢なひとときだった。

 

昔も今も変わることなく、見上げる人の顔を綻ばせるスーパームーン

豊穣の黄色い光を世に降らし、

安堵と幸わいを届けてくれる。

 

 

馨公