虹の書斎

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錦織圭というアジアの星


テニスの4大大会の一つ、

パリのローラン・ギャロスで行われている全仏オープン

右手首にダメージを負い、そのリカバリーを最優先に、

忍耐とともにクレーシーズンを送ってきた錦織圭選手も、

無事に参加し、勝ち進んでいる。

 

現在その右手首はどこまで回復しているのだろうか。

新たに右肩辺りを痛めたようなシーンもあり、気にかかるところなのだが、

軸のぶれない、強くて正確なショットが久しぶりにビシバシ決まっていたその2回戦を越えた今、

もう心配よりも、ここはあえて楽観視で、

応援して過ごそうと思う。

 

3回戦へと駒を進めた錦織選手は、世界ランク67位…

韓国のチョン・ヒョン選手と当たるとのこと。

アジア勢のトップと新鋭による戦い、

どういう試合になるのかが楽しみだ。

 

〜〜〜〜〜〜〜

 

赤土のローラン・ギャロス。1回戦。

深い緑色のウェアは珍しいな…と、

どこか頭の隅っこで思いながら試合を観戦していた時。

赤土の上で走り回る錦織選手…

見慣れないグリーンのウェア…

色彩の心理面への何らかの影響なのか何なのか、よくはわからないが、

錦織圭ってアジア人なんだよなぁそういえば、東洋人なんだ…」と、

アジア系、東洋圏の選手であることに初めて気が付いたみたいに、

何故か突然ハッとさせられた。

 

「世界の錦織」として活躍してきている錦織選手は、

いつからか固有名詞化しているようなところがある。

戦う場所も相手も世界が対象のため、

いつしか自分の中ではアジア感が薄れ、

ただただ錦織圭としてしか観なくなっていたのかもしれない。

けれども現実に錦織選手は日本人で、東アジア出身の東洋人。

むしろ世界が相手だからこそ、

ずっとアジアを背負い、代表し続けてきている選手なのだ。

 

 

欧米圏、豪州が引っ張り続ける男子テニス界は、

強さと実績という観点から見れば、

圧倒的に西洋主体、西洋主導のスポーツである。

数々のドラマを生んできた四大大会はもちろん、マスターズやその他の大会においても、

数多の覇者と挑戦者がしのぎを削ってきたその歴史を紐解くと、

そのほとんどを欧米豪の選手が占めており、

その後ろを中南米勢やロシアが続いていく。

 

強者は西洋圏出身プレイヤーオンリー…

それが今更言うまでもないくらいの男子テニス界の実際であり、常識なのである。

選手や関係者には申し訳ない言い方になってしまうけれども、

西洋はメジャー、残念ながら東洋圏はマイナー地域。

少なくとも西洋から見れば、

そうカテゴライズすることに異論は生まれないだろう。

 

もともと相対的に背が低くて、線が細いディスアドバンテージをもつとされるアジア系アスリート。

白人黒人選手のパワーに対抗できる筋力、体力。

個の強い西洋人の中でも戦い抜ける、激しい競争心と確かなモチベーション。

長いツアー生活に耐えられる心身のスタミナ、タフさ。

財政面や人種・文化の相違等、アジア系ゆえに起こりえる様々なコート内外の事どもに対応処理できる能力。

そして、西洋圏出身の選手を上回るテニスの実力。

 

欧米豪などの西洋人と、主に西洋のフィールドで戦う以上、

アジア系のディスアドバンテージを踏まえつつ、勝つための条件を継続して保つ…、

又はより高め続けていかなければならないことは明白である。

というより、それが基本線なのかもしれない。

アジア系のテニスプレイヤーの道はかように過酷で、生き残るのが極めて難しい道。

誰にでも容易に想像がつくようなシビアさである。

 

 

190cmを超える長身、豊かな体躯に恵まれることが、

まるで必須項目のようになってきている男子テニス界だが、

アジア系で、180cmに満たない錦織選手は、

過去数年間にわたって、世界のヒエラルキーのトップクラスに位置し、

BIG4や一部トップランカーを除く、ほとんどの選手達を凌駕してきている。

そして同時に、

トップ50以内にランクしてきた、ほぼ唯一のアジア出身選手でもある。

ずっとただ1人、突然変異のようにぽつんとそこに居続けている。

 

アメリカで10代の頃から鍛え上げられてきたからこその強さだとも言えるが、

世界中から集まった本気でプロを目指す面々の中でも、

勝ち抜いた…勝ち抜くことができたということでもある。

錦織選手が獲得してきたポジションをアジア系として鑑みる時、

それはどれだけイレギュラーなことなのか…。

 

おおよそ過去40年間、

現代テニスの父のようにうたわれるビヨン・ボルグ以降の男子テニス界において、

トップ5に届いたアジア系選手はたった2人しかいない。

アメリカ人だが台湾系のマイケル・チャンと、

日本人の錦織圭だけである。

純粋なアジア圏出身となると、錦織圭ただ1人である。 

ベスト20で調べてみたところ、

アジア圏出身のプレイヤーは、タイ出身の選手(9位)が1人いたという少なさだった。

 

過去40年でたった2人しかいないトップ5経験者。

その2人が師弟となりタッグを組んで、

本当の意味ではホームのないアウェイの環境の中、戦っている。

その事実を思うと、身震いするものがある。

 

 

世界の側から見た場合、

マイナーに位置する東洋圏から、なんでこんなすごい選手が出てきたんだろうと、

ただ不思議に思われてきたのだろうか。

それとも、アジア出身の選手に負けるなんて情けないと、

西洋圏出身の選手達はハッパをかけられたのだろうか。

 

日本人、として見てももちろんそれはそうなのだが、

東洋というくくりで改めて見直してみると、

錦織圭というテニスプレイヤーがいかに希有で特殊な存在なのかを思い知らされる。

欧米のメディアが錦織選手を形容する際に、

アジアの星、東洋のスーパースター、と表現をするのを度々目にしてきたが、

実のところ自分はその意味を、正しく理解してはいなかったのだなと、

今更ながらに、改めて、教えられた気がしている。

 

40年間でたったの1人2人…というテニスの歴史を思えば、

西洋の選手たちとしのぎを削り、ベストテン内に東洋人が在籍するなど、

通常では考えられない事態である。

個の強い欧米豪人の中で、

選りすぐりの中のさらに最上のファイターだけが勝ち残る世界、

その過酷な場所でただ1人、世界屈指の位置に当たり前にいる東洋人。

 

世界中の選手達や、テニス先進地域の西洋出身の選手達、

皆がほんの一握りのプロ中のプロしか辿り着けない天空の地を目指す。

そしてそのほとんどの選手達の願いは、叶うことがない。

そういうまさに万に一つの場所に、かつてマイケル・チャンはいて、

今錦織選手が存在している。

錦織圭というアジアの星。

その輝きの価値や凄さと、輝くための労苦と犠牲。

もしかしたらその異質な星をリスペクトし、輝かす大変さを最も理解しているのは、

日々戦う相手となる西洋の選手達なのかもしれない。

 


全仏3回戦は、

東アジア出身同士のアジア系対決という珍しい初顔合わせ

日本人の…、大きくみれば、

アジア系、東洋人でただ1人トップエリアに輝くスーパースターに、

新しくそこに近づこうとするアジア出身者の挑戦、

そんな構図の戦いである。

 

こういうアジア勢同士の試合がこれからはもっと増えていくのだろうか。

テニスに新たな角度からの楽しみが生まれていく。

3回戦、どうだろう。

錦織選手の怪我が心配なところだが…ではなくて、

楽観視で、観戦を楽しもう。

 

 

馨公

ゼラニウム

 

まっすぐ伸びる細い茎の上に、

密集して咲く花がぽっこりと丸くて、

どことなくぼんぼりや小さな提灯を思い起こさせる形。

その姿で風を受けると、

メトロノームみたいに花房があっちこっちに揺れるものだから、

思わず頬がゆるんで、目尻も下がってしまう。

 

数多く一斉に花開いていると、薔薇やカーネーションに似て見える。

思いのほか艶やかな装いは、侮れない豪華さだ。

真紅や赤、オレンジやピンクに白、バイカラー…

カラフルな挿し色のようにその場をパッと明るくさせて、

目にしたこちらの心にも、

驚きや高揚をもたらし、喜びを運ぶ。

 

会話が弾んでいるの?と聞いてみたくなるような、

隣り合う花たちの賑々しい元気さ。

 

わぁ…と顔がほころび足を止めて見入ってしまう、

花たちのその素敵で甘やかな愛らしさ。

 

今、チャーミングなゼラニウムが至るところで咲いている。

住宅や店先にある鉢植えやハンギングプランターに。

マンションの植え込みや大通り沿いの花壇に。

バリエーションのある花の色が、

見慣れた風景の中、彩りを添えている。

 

 

生命力を感じさせる色みと、愛嬌のある玉状の花房。

その絶妙な取り合わせが束になって満開となると、

溢れんばかりにその場にいっぱいの花たち!…

みたいな華々しい格好にもなり得るし、

もしかしたら多少うるささも認められそうなものなのだが、

どうもゼラニウムはそんな風にはならない。

 

単体一つ一つを、花をそばで観察していると、

優しみのある可憐な質感が滲むように伝わってくるというか、

控えめであり…むしろ慎みが感じられる。

溢れるようにいっぺんに咲き栄えても仰々しくなり過ぎない理由、

他の色とりどりの花々ともぶつからずに調和し、不思議と周りの花の魅力は消し去らない意味が、

ここに読み取れる気がする。

小さな小さな花も、ゼラニウムのそばでは掻き消されない。

愛くるしい表情を見せて微笑むのである。

 

自らが鮮やかに光りつつも、

そこにある空気感は壊さずに他の花々と馴染んで、

場を構成するパーツの一つとなっていく…。

一歩引いてというよりは、一歩前に出ることをせず、

周りとの兼ね合いを図るようなスタンスをとる。

ゼラニウムにはバランサーのような資質、特性があるのではないかと思えてくる。

個の主張やアピールよりも、バランスの方をメインテーマとする生命の在り方。

立ち位置を自ら変えられる花のように見える。

 

 

そんなゼラニウムは、、

人と自然がハートでブレンドされるような心地よい共生の関係を、

生活圏の中で優しく、そして易しい形で演出・サポートしてくれるありがたい存在だ。

生活する人のそば、日常の暮らしの中で、

バランスを取るその役目を果たすかのように、

無理なく何気なく、場に快い雰囲気を生みだす素地の一部となって、

馴染んでゆく。

 

居間の小さな鉢植えや、庭の花壇や植え込みから、

灯火のように朗らかな色で周囲を明るく照らしたり。

己れの柔和さを波に変えて、花を通して、

まわりに安心の気を溶かしつつ、調和の息吹をもたらして。

 

 

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馨公

アカツメクサ(レッドクローバー)

 

シロツメクサとは別の場所で、アカツメクサの花を見つけた。

なんだか得した気分…うれし〜。

たっぷりの日差しを浴びて、葉の緑も生き生きと豊か。

植物たちがキラキラ輝いて見える。

 

アカツメクサシロツメクサは名前は対になっているけれども、

同じクローバーの仲間とはいえ厳密には別種で、

実際の姿はもちろんのこと、

それぞれが醸し出す生命の雰囲気や肌触りも、

結構はっきりと違っている。

 

素朴で平和な可愛らしさのあるシロツメクサは、

背が低くて横へと広がり、集団という印象を与えるのに対して、

アカツメクサは縦に50cmは成長し、

葉のつけ方や形が異なり、花も一つ一つという感じの咲き方をする。

まとまって群生はしていても、むしろ個の集まり…というような印象を受ける。

 

ところで。

アカツメクサの生命力は、花、茎、葉含めて威勢がよい。

説得力や感化する力のような、

何らか細かく…でもジリジリと、働きかけてくるパワーがあるのだ。

花を見つめていると何だかじわじわ暑くなってきて、

エネルギーがチャージされて血流が良くなるのか、

汗ばんでくるような体感を覚える。

 

優しい心根ゆえに熱っぽく説得をしてくる…

 

自分の前側から両肩に手を置かれ目を見て諭され、そのまま椅子に座らせられる…

 

そんな構図が不思議と心模様として浮かんできて、

はっ?なにこれ…

と頭の中でちょっと苦笑する。

でも、

その妙にリアルなイメージが、何とも興味深かったりもするアカツメクサの花、

なのである。

 

小さな花だけど大らかな熱さ温かさ。その奥にある思いやり。

表からは元気をチャージしてこちらの負を一掃し、

裏で手厚く癒し整えていくような、独特な誘導。

時々表裏がくるりとひっくり返って、優しさが表に溢れたりもするみたい。

 

濃いピンク色のアカツメクサの花は、

小さい花なのに頼りにしたくなる強さが備わっているようだ。

この花を前にすると、何となくたしなめられる気持ちというか、

自分を大事にしなさいよ…

自分も大事にしないとね…

と言われているような気がしてくるのである。

 

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馨公

シロツメクサ(ホワイトクローバー)

 

自然…心地よい風…草原…緑の波頭…草の葉音…

会話する声笑い声…寝転がってくつろぐ人々…

せせらぎ…小川…花々…木々…遠い山並み…

 

平和な風景をイメージすると、

脳裏にはいつも、花々の咲く水辺や穏やかな草原の風景が浮かんでくる。

風が渡り、降りそそぐ光が気持ちよくて、

複数のモンシロチョウがひらひらと飛んでいるような世界。

 

草原をよく見ると、

辺り一面には緑いっぱい、ワァーと三つ葉四つ葉のクローバーが広がり、

たくさんのシロツメクサの白い花が咲いている。

葉の上をてんとう虫がちょこちょこと歩き、

シロツメクサの花の蜜を吸いにきたミツバチが、

羽音を小さく響かせながらフワンフワンと飛んでは、

花から花へ渡っていく…

 

 

今、春本番の自然界では、

大地からたくさんのシロツメクサの花たちが、

じっくりじっくり、自然本来の平和を地上に育んでいる。

 

一方では鉄の力と火力、武器。

人の手による化学物質。

エゴの横行、欲の暴走が、力の行使と過度に結びついて、

きな臭い不穏さばかりが膨らんでいる。

 

世界中のあらゆる大地にもし、

鮮やかな緑のシロツメクサ、クローバーが健全に豊かに育ったならば、

ただそれだけで、

ずいぶん人の普段の心の景色も変わるような気がする。

シロツメクサが当たり前ではない国にもし、

その優しい風合いの花が当たり前に咲くようになったなら。

 

それともそれは、あまりにナイーブ過ぎる夢物語だろうか。

 

 

クローバーが広がる緑の大地。

シロツメクサの白い花とともに毎春を生きていける道。

 

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馨公

スター・オブ・ベツレヘム

 

道の脇の草地に、何か小さいものが光る。

ん?なんだろう…

心に従い、近寄って足を止めてみると、

あ、これはこれは!うれしい出合いだなぁ。

 

クッキリと鮮明な乳白色の花がちらほらと咲き、

身をかがめてまじまじと見る刹那、

陽の光の加減ひとつで、

目の覚めるような白が白金のように輝いたり、

微かに青みがかって、シルバーやプラチナをまとうようにも見えてくる。

 

こんなに普通に、なんてことなく道端にも咲くものなのか…

足元に注意しつつ、周囲に目を向けて歩いてみると、

意外に道端や歩道脇にも咲いている。

でものんびり散策ペースでなければ、

たぶん気が付けなかったかもしれない。

 

星型の花は花径3㎝前後、

草丈15〜20㎝ほどの小さなユリ科の植物、

スター・オブ・ベツレヘム

大地からずっと遠く、天空を見てるみたいな可憐な花が、

こちらを向いて風に揺れている。

トロリとなめらかな風合いの花びらにちょこっとだけ触れて、

こんにちは、と挨拶の声をかける。

 

間近でしっかり花を見ると、

その形体の見事さ、完璧とも思えるフォルムに感動させられる。

なんて美しさなのだろう…

6枚の白い花弁と黄色いしべが創り出す、

スター・オブ・ベツレヘムという花宇宙。

天地のバランスが完全に取れていて、

名前の通り六芒星

星をかたどった、まるで一つの結晶のようだ。

 

輪郭の定まった、明確な意図を感じさせる濁りなき白色の花から、

柔らかな精妙さを震えるように静かに放っているスター・オブ・ベツレヘム

神性を宿すような静かな威厳と、

繊細で品のある清楚さのコントラストが、

「華」を添えている。

 

日光の下で開くスター・オブ・ベツレヘムの花が、

夕暮れにさしかかり一斉に閉じていく。

「太陽よりも月や星に近いというか…夜に届く光の印象あるけどなぁ」

閉じてしまった姿に向かい、ひとりごちる。

 

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馨公

菜の花と過ごす午後

 

開花し始めてからもうひと月以上になるけれど、

まだまだ元気。

川べりや田の畦、農地や庭など、

今も至る所で花咲く姿を見せてくれている菜の花。

 

鮮やかな黄色が太陽の光を浴びて、

さらにキラキラと輝いている。

15時過ぎ頃は黄金感もピークといった様相、

直視が難しいくらいに、まばゆい感じだ。

 

風に揺れながら、菜の花達が気持ちよく何か歌を歌っているみたい。

その調べは風に乗り、

楽しげな歌声が辺りに渡り響いて、

春の平和が波のように田園に広がっていく…

 

そんなふうに、

菜の花の風景は軽やかに穏やかで明るく、

こちらの心へ朗らかに触れてくるものだから、

気持ちが自然と和んでしまう。

 

元気やパワーそのものを手渡してくれるというよりも、

ワァ〜と心を広げて笑顔にしてくれる、燦々の花。

菜の花達に囲まれて過ごす午後は、

黄色と光いっぱいの世界。

 

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馨公

八重桜

 

重なり合う何枚もの花びらがフサフサしていて、

小さな芍薬(シャクヤク)のよう。

たくさんの花が寄り集まり、さらに大きな一つの花を創り出す。

数えきれないほどのそんな「大輪の花」が、

枝もたわむような勢いで咲いている。

「たわわに花が咲き実ってる」と表現するのがふさわしいくらいかも…

などと思えてくる八重桜の花姿。

空間を埋め尽くす充溢の趣で、今満開を迎えている。

 

白から桃色に至る鮮やかなピンクのバリエーションが美しい。

一つ一つの花にふっくらとした愛嬌があって優しいけれど、

ものすごい数が一気に咲いて、

しばらく花びらが落ちないものだから、

まるで花の詰め物をしたみたいに、ぎっしりたっぷり。

ボリューム感の印象の方が目立っている。

 

ソメイヨシノが開花している時の存在感には、

「豊かな広がり」とか「風に舞う花びら」のような、

のびのびとしたスペースや動き・移ろいが感じられるが、

八重桜の開花時を同じようにイメージで捉えると、

「凝結、濃密、生成、繁茂、老成」など、

むしろ内向きに集約する力がグッと効いている感じがする。

 

青空の下、

子供のように可愛らしいクリアで純真なエネルギーが、

花に光り乱舞し始め、

そして木全体からは、

それとは真逆の、老練の慈愛が霞のように滲みだす。

枝や葉から少しずつ、その独特の滋養が溢れて、

辺りを煙るように染め上げていく。

 

嫗(おうな)の年季の入った寛容と、

翁(おきな)の渋い優しみが同居する風格で、

どっしりと佇む八重桜。

独特の深いオーラにチャーミングで美しい花がキラキラ輝いて、

ハッとさせられる。

 

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馨公

桜との縁(えにし)

 

子供の頃、家の近くに桜並木の二車線道路があった。

ソメイヨシノが開花し始める頃になると、

通り沿いの一本一本の木に提灯が吊るされて、

多くの人が訪れるお祭りが開催された。


 

道の両側から空中に、溢れんばかりに覆いかぶさるソメイヨシノ

その薄ピンクの花がこしらえる、数kmに及ぶ美しいトンネル。

春本番の景色が、どこまでも続くように見える通りは、

お祭りの際には歩行者天国となった。


アニメのキャラクターやおかめひょっとこのお面。

色とりどりの水ヨーヨー風船。

金魚すくいに興じる子供や、手をつないでそぞろ歩きをする親子。

あんず飴や綿あめを手に、或いはたこ焼きを食べながら行き交う人々。

 

途切れることのない人出で賑わう通りには多くの屋台が出店し、

子供心にも胸打たれ、絶句するような繚乱のソメイヨシノの世界も、

その時ばかりは、焼きそばやお好み焼きの美味しい匂いが漂うような、

お祭り仕様となるのだった。

 
朝から晩までワクワクと気分高揚したまま、

花盛りの中、春を愛でるお祭りを満喫したり。

満開の下、花を見ながら沿道をプラプラと散歩して、

揺れ落ちる花びらに目を奪われたり。

 
ソメイヨシノを主とする桜の並木道の存在は、

祭りの週末も、生活音に満たされる日常においても、

住民達の安心感の素地、心の寄るべそのものだった。

地域に平和の息吹をもたらす桜は、

生活の中に根付く「共に生きるもの」であった。

 


高校の通学ルートの途中にある土手の上1kmに渡って、

大きなソメイヨシノが立ち並んでいた。

白に近いピンクがこんもりとして盛大な、満開のソメイヨシノ

朝と夕、川沿いに連なるその様に心奪われた春は、

花観賞に臨む人たち、楽しげに花見の宴会をする人たち、

しあわせそうな笑顔と遭遇する春でもあった。

 
社会人になってまだ間もない頃に暮らした街は、

桜の名所のようなところだった。

駅前の並木のみならず、街中から住宅地に至るまで、

幾種類もの桜が当たり前のように植えられ花をつけた。

近所のスーパーへの行き帰りや散歩道の街角が、

いきなり格別な装いで現れたみたいなその風景美に驚いて、

足を止めては花を愛でたり、写真を撮ったりした。

 

そして、ずいぶんと月日を経た今。

早咲きの河津桜や緋桜のあとを受けて、

近所の大通りや、雑木林、田んぼ端、川沿い、丘の上、小さな公園や駅前の広場など。

ソメイヨシノは目の前の圧巻の満開姿から、遠景に白い霞のように立ち現れる花姿まで、

今年も見応えのある花模様を、存分に見せてくれた。

 


独特の濃いピンクが華やかで美しい早咲きの桜花。

優しく淡いピンクが、湧き立つように豪華に花咲き栄え、

膨大な花びらが風に乗ってハラハラと舞い散るソメイヨシノ。


 

何十、何百、何千、何万…

誰にとっても身近な桜との、時を超える関わり。

太く濃い絆で結ばれる、人と桜との縁(えにし)の物語。 

誰もが皆それぞれにそれぞれの桜との歴史…

忘れられない出来事、心揺さぶる思い出が、

存在しているのだろう。

 

先日、花散らしの冷たい雨が降った。

ここのところの強風が花吹雪を巻き起こし、

川面には大小さまざまな花筏ができている。

ソメイヨシノは春を先へと進めるGOサインのように、

自らの花びらを手放して、すでに新緑へと向かい始めている。

 

今年もまた1つ、今年だけの、

桜の花、ソメイヨシノの花との物語が紡がれた。

 

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馨公