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虹の書斎

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ロジャー・フェデラー

日曜日に行われたフェデラー錦織戦は、

フルセットにまでもつれ込む試合となったが、

フェデラーが勝利した。

速いテンポ、卓越した心技体の結晶を見るような素晴らしさだったロジャー・フェデラーのテニス。

やっぱりフェデラーってフェデラーなんだなぁと、

ただただそう納得させられるプレーぶりだった。

本日行われた試合ではズベレフをストレートで下し、準決勝へと駒を進めた。

 

あまりに完成度が高いフェデラーの前では、ウィークポイントも目立ってしまったけれども、

だんだんと押されながらギリギリ耐え続け、

フルセットまで粘った錦織選手の力も半端ではない。

3回戦、世界ランク10位のベルディヒは、

フェデラーの研ぎ澄まされたテニスにまったく対応できず、

残酷なほど軽々と手玉に取られていた。

 

錦織戦でも引き続き力強く華麗なテニスを繰り広げたフェデラー

コースもスピードも申し分のないサーブ、

ストロークのスピード、強弱、その精度や駆け引き、

前後左右への打ち分けと、正確なプレースメント、

そして打点を自在に操りテンポを変え、相手の動きから試合そのものまでを支配してしまう掌握術。

引き出しの数、使えるツールの数、幅、懐の深さ、分厚さ…

 

後半には疲れなのかややミスショットも出ていたが、

特に2、3セットは圧巻の内容で観客を魅了していた。

こんなプレーをされて勝てる選手など実際いるのだろうか?

これで本当に35歳なのか?

このあとも疲労や怪我トラブルがなければ、疑念をはさむ者がいないような優勝大本命ではないかと、

そう思えるクォリティだった。

 

フェデラーが優勢の中にも錦織選手が見事に切り返してその実力を見せれば、

またフェデラーがそのお返しをする。

緊迫した空気の中、1ポイントを交互に取り合うたびに、

会場では賞賛と驚き、感銘の溜め息が混じり合う歓声と拍手が巻き起こった。

2人のテニスは宝石のような、芸術のような、とてつもない一球一打の連続だった。

 


識者やファンだけではなく、マレーやフェデラーを含めたトップ選手たちが、

錦織圭は非常に俊敏なフットワークをもつトップ選手の1人であり、

特に今世界のベストレベルのショットメイカーだと公言している。

そんな錦織選手でも太刀打ちできない速さの精確なショットをフェデラーは打ち込み続け、

その中の実に83本ものショットがウィナーとなった。

ちなみに次戦のズベレフ戦では、60本以上のウィナーを3セット1時間32分の間に決めている。

 

錦織選手が放ったエンドラインギリギリの強烈な打球も、

フェデラーはハーフバウンド気味にことごとく拾い、叩き返し、

それがまた錦織側サイドライン、エンドラインギリギリのところへことごとく決まっていく。

ほとんどマジックのようなストロークは、ほぼ最後まで変わらず保たれた。

 

どんな選手にとってもラリーどころかまずリターンが可能なのかと思うような、

目を瞠るような高速・高精度のテニス。

むしろ足も速くベストリターナーの1人である錦織選手だから、

ギリギリ届いて打ち返し何とかラリーにできていた、と考える方が理に適う。

マレーやジョコビッチ等を除く、他のほとんどの選手では、

まずラケットがボールに届きもしないのではないか。

まさしく異次元レベルのストロークぶりだった。

 


そのフェデラーに対して錦織選手はすごいな…

と感じたシーンが実に何度もあったが、

全力のフェデラーに押され続けながら2-2のタイに持ち込み、

ギリギリのところでフェデラーを受け止めていたその器に驚かされてしまった。

ウィナーも40本以上決めている。

5セット目はサービスを先にフェデラーがブレイクしたため、

実際にはそこで試合が決してしまった感がありはしたものの、

最後まで何とか食い下がっていた。

あの観客の応援に後押しされた、あの出来のフェデラーにそんなことができる選手が果たして何人いるだろうか。

個人的には、フェデラーが凄すぎる分だけ、

錦織圭という選手の今の凄さ強さもよく分かり、

それが心に刻み込まれた試合となった。

 

そして同時に、全力のフェデラーによって、

2人の差がどこにあるか、どう違うのかが、

見えて浮かび上がってしまった試合だったようにも思う。

ウィークポイントがよりクリアに露呈された格好と言えるだろうか。

自他共に認めるようにサーブの弱さが、このような高次元の試合だとどうしても悪目立ちし、

フェデラーに何度もセカンドサーブを打ち込まれエースを取られていた。

スピードというよりむしろ精度、入る確率が低く、

入れるべき時に入らない両者の違いが如実に出てしまっていたのが残念だった。

また本人も言う通り、メンタル面の優しさのことがよく取りざたされるが、

この試合序盤でも、明らかにゲームの主導権を掴んでいるそのグリップを、

自ら緩めてしまうような部分が見られたと思う。

 


フェデラーがしかけて押し、錦織選手が受けて凌ぐ構図に次第になっていった試合は、

トップ同士が四つに組んでぶつかり合う、濃密でヒリヒリするような戦いだった。

王者でありながら挑戦者のように、

フェデラーは戦術戦略準備万端で、錦織選手との試合に勝つために全力で臨んでいた。

このようにフェデラーが本気モードで、錦織選手を負かそうと全力を尽くす姿は初めて観たような気がした。

そして勝利が決まった瞬間のフェデラーの飛び上がって喜ぶ姿、

あんな感情もあらわな姿も初めて観たように思う。

そのことが今の錦織圭のレベルを何より証明しているということなのだろう。

観ていて何とも言えない気持ちにさせられた場面だった。

 

こうなると、もう王者フェデラーの優勝するところが観たい。

ゴフィンとディミトロフの勝者が決勝に出てくることはあるだろうか

ワウリンカのバックハンドとパワー、そして勝利への執念。

けれど彼のフットワークで今のフェデラーの速さについて行けるのか。

サーブとネットプレーにフォアハンドも武器にしたラオニッチが立ちはだかるのだろうか?

それともここにきてまさかフェデラーvsナダル

実現されてしまうのか。

そんなことになったら世界中が嬉しさのあまり、

試合前から涙を流してしまうはずだ。

やっぱりテニスは素晴らしい。

準決勝が近づいてきた。

 


馨公(よしたか)

錦織圭 vs ロジャー・フェデラー

真夏の南半球オーストラリアで開催されている全豪オープンテニス。

幕を開けてから約1週間が経ち、トーナメントも4回戦まで進んでいる。

ジョコビッチが2回戦で敗れるというビッグニュースに驚かされたり、何人かのシード選手が早くに去りはしたものの、

ここまで勝ち残っている顔ぶれを見ると、

やはり馴染みの上位ランカー達という状況になっている。

 

今回のトーナメント、錦織選手は厳しい山に割り当てられたけれど、

3回戦まではさすが、キッチリと勝利。

このあとの4回戦でロジャー・フェデラーと。

勝ち上がれた場合、ベスト8ではランキングNo.1のアンディマレーと、

対戦することになりそうだ。

ここからが正念場、厳しさが格段に増す。

 

観る側としては、こうした華やかなラインナップ自体には胸躍らされるが、

とりわけフェデラーvs錦織戦はまさに夢のような好カード、

この2人のマッチアップが観られるときめくような歓びや、とうとう現実となる感動と、

4回戦ではもったいな過ぎるぞォ、と感じる気持ちとがせめぎ合い、

心の中で嬉しい悲鳴が上がっている。

 

フェデラーと錦織の関係性には、

どこか師弟のような、尊敬し認め合う姿が透けて見え、

他の選手同士の試合では見られない何か純粋な「通うもの」が感じ取れる。

そんな2人のフェアな精神に則って繰り広げられる高度なテニスは、

美しくて力強く、速くて正確であり、

その力と技とスピードが、

4回戦で観る側を楽しませてくれるというのだから誠に贅沢なことである。

 

それぞれの選手だけを見ても、

あのロジャー・フェデラーの久しぶりの復活劇、

その姿、そのテニスを観られるだけでもファンにとっては感激だ。

一方キレのあるストロークにさらに磨きがかかって、

錦織選手悲願のグランドスラム優勝への応援と期待も膨らむ。

どちらにも勝って欲しいし負けて欲しくない気持ち。

数多くのテニスファンがこの4回戦を前に、

同じ気持ちでワクワクハラハラしていることだろうと思う。

 

いよいよ本日の日本時間17時頃から試合が始まる。

グランドスラムではどうしてだか対戦がないこの2人、

楽しみな思いが強くて、昨日から何となくずっとソワソワしている。

 


広いコートを激しく動き回りボールをしたたかに強打し続けていても、

力みなく滑らかで華麗、静かでフワリと軽やかなフェデラーの無駄のない動き。

ゆったりしたフォームから、鞭がしなるような強烈なフォアハンド、

蝶や風が舞うような柔らかなステップから、緩急自在のとてつもないボレーを決めてしまう。

しなやかで強力、美しい芸術のようなテニスで魅せる史上最高のプレイヤー。

 

錦織選手の目の覚めるような鋭角のフォアドライブ。

他の追随を許さないバックのダウンザライン。

バネの効いた俊敏なフットワーク。

ピンポイントで打ち込まれる軸の定まったキレキレのリターン。

まるで高速で回転する幾つかの独楽がぶつかって弾け飛び、火花がその瞬間に四方に飛び散るように、

あらゆる角度へ自在に放つことができる、煌びやかなショットメイク。

 

勝負以前に、

精度の高いストロークやラリー、ボレーや戦術、動きすべて。

こんな2人の戦いが観られるというだけで、

本当に心から幸せで、顔が自然に紅潮してきてしまう。

どちらも応援したくなる。

 

けれど日本人として…というか東洋系の選手として、

このスケール、このグレードで戦い活躍している選手はほぼ皆無、

錦織選手1人だけが成し遂げているというこの現在の状況。

肉体面、心理面、人種面、環境面など、

目に見えるところ見えないところひっくるめて、

想像以上に戦って、また闘ってきているのだろうとも思えてくる。

 

コート内外のシビアな側面としのぎを削りながらも、

ここまで継続して世界のトップメンバーとして実績を作り、

グランドスラムを錦織選手が取ってももう全くおかしくないと、

もはや世界のメディアや識者が普通に言うようになってきている今。

当然…と皆が思うところにはたどり着いているその現実が、

追い風のように彼を後押しし、

今年は「実力通り」のこととして、本人悲願のグランドスラムを獲得して欲しい。

 

フェデラーには負けて欲しくない。

でももう錦織選手に勝って欲しい。

あぁ、これが決勝であったなら…。

 


馨公(よしたか)

松の癒しの力

花のもつエネルギーとその質や働きに着目したイギリス人医師、

バッチ博士よって体系づけられたフラワーエッセンス。

80年以上の歴史を通して信頼を獲得し続け、

波動療法の一つとして、今も世界中で多くの人に愛用されている。

 

繊細で微細な植物固有の生命のバイブレーションを生かす、博士の手によるそのフラワーエッセンス群の中に、

パイン(西洋アカマツ)とラーチ(ヨーロッパカラマツ)、

という2種類の松が含まれている。

罪悪感と劣等感。

そこから派生する自虐や自信のなさなどへ働きかけるとされる、

どちらも極めて有用性の高いフラワーエッセンス。

 

長く続く自責や自己否定を生み出す苦しみの根源、

原因となっている心理的感情的な傷やトラウマに対して、

常緑の松が慰めや許し、自己肯定への癒しの効果をもつということに、

自然界の深遠なことわりが垣間見えるような気がして、

静かな感動を覚える。

 


松は縁起物、家具や小物、そして風光明媚な風景に映える木という、

見たり使うためだけの樹木ではない。

フラワーエッセンスの例からもうかがえる通り、

健康や癒しに寄与する貴重な生命力を宿す木であり、

昔から敬われつつ用いられてきている。

 

例えばクロマツの林を通り抜ける風を浴びると元気になる…

松の風下にいると健康を取り戻す…等、

こうした民間療法的な松絡みの生きる知恵は、以前よく聞かれた。

実際に海辺に療養所が設けられたり、

松風の吹く海辺で療養することは一つの理想、とされていた(いる)。

 

クロマツの生命力を帯びる風が健康へと促す。

竹林にいるだけで、涼やかにピーンと心が静まり、焦点が定まっていく。

花開く白梅のそばにいるだけで典雅な心境へと清められる…。

このような心身に対しての美しい働きかけは、

植物自体の生命エネルギーの振動が波となり、

健全な関与をなしていくストーリーそのものである。

 

松、竹、梅それぞれの生命が奏でる音楽のように、

人や動植物の存在自体に作用して影響を及ぼし、

ポジティブな反応や、健やかな変化を生むサポートをしていく。

薔薇、すみれ、ユリ、ラベンダー、蓮、桜…

植物固有のメロディパターンが見えずとも聞こえずともその場には漂い満ちて、

目に見える美しさや花の香りだけではなく、

そばにいる者に生命そのものが醸す豊かな恵みをも自然に授けていく。

 


個人的にも、あまりに心身の具合がひどい時には、

アカマツクロマツが林立する場所や、聳える木の下に行き、

松の気のシャワーを浴びるような気持ちで、

満足するまでそこで松浴をする。

 

ある時は、血がホッとしてラクになるかのような、安堵感やなだめを得られたり、

別の時には、パワーチャージされて高揚し、ポカポカと温かくなってきたり。

松との相性がよいのか、大好きだからなのか、

それとも松のもつ普遍的な力なのか…理由は定かではないのだが、

折にふれ、そんな風に松の生命エネルギーを分けてもらっている。

 


馨公(よしたか)

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厳しい環境下にあっても変わらずに生命力を湛え、

真っ直ぐ伸びやかに、

身をくねらせしなやかに、

己れと場との兼ね合いにより身の形を変えながら、

力強く根を張り、堂々たる生を生きる松。

 

細長い葉緑の深く渋い松葉色。

塩含みの海辺の土壌で、強の潮風に負けない生命の器。

健康と長寿の象徴のように古来より重宝され、

松竹梅と世に謳われる通りに、

縁起がよい植物の筆頭の如くみなされる。

 

365日の中でも最重要の1日と言える、代えがきかない正月元日。

年初の慣わしにおける縁起物にはもちろん松が用いられる。

門松や正月飾りとしてその役目を担い、

松の内と呼ばれる表現も手伝ってか、

年明けからしばらくの間は、

格の高い松のエネルギーが世の中を往き来することになる。

 


古今東西で特別な力がある樹木だと認知されている松は、

日本の場合、そこに神聖さの要素が加味されるようで、

ご神木として神社仏閣で見かけることも珍しくはない。

海辺や水の神社は松並木、というイメージも浮かんでくる。

 

参道に見事な枝ぶりの松が贅沢に立ち並ぶ姿。

威厳のある大松が存在感も高らかに、勇壮な趣を社寺に行き渡らせる姿。

境内の神聖な雰囲気に松がさらなる重厚さを呼び込む…

という場面にはよく遭遇する。

 

クロマツアカマツ、カラマツ…

長い年月をくぐり抜け、品格と老練さ、継続と忍耐という神性の徳を磨き宿して。

堅固な意志や生きる労苦を体現しつつ、

日々の暮らしから正月に至るまで、

我々が倚りかかることは許し、

自らを当たり前に差し出してくれる。

 

気高き師父のように、

その生き様から懐の深い強さと優しさが滲む松。

誠にありがたくて尊い存在である。

 


馨公(よしたか)

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松の内

仕事始めから一週間が経った。

だんだんとお正月モードから、新年明けの風情はありつつもオンモードへと、

スピード感やテンポが本格的に変わってきただろうか。

松の内は七日で終わり門松も外されて、

もう見かけなくなっている。

 

この松の内

実は地域によってその期間はさまざまなようで、

関東ではやはり7日まで、

関西では15日までというのが通例になっている。

 

「何となくそんな気がするから…」

というだけの、まことに根拠のない理由ではあるけれど、

個人的には15日くらいまでがお正月と感じるので、

15日までが松の内という関西型の方に共感する。

 

ところで初詣というのは、

元旦や三が日、遅くとも松の内の間に、

新年のご挨拶と一年のご加護を頂くことへの感謝やお願いなどを、

ご祭神に言上申し上げるべくお参りをする、させて頂く、

というのが筋なのだろうと思う。

 

ぼくの場合、実体験からいろいろ試行錯誤してきた結果、

神社仏閣への年初の参拝は、

ほとぼりが冷めた10日以降15日までの間に、

静かにひとりで、心正してさせて頂くもの。

という具合におさまった。

 

大わらわで何が何だかわからないような大混雑の中ではなくて、

年に一度きりのことだし、

きちんとご挨拶に伺い、顔と心を向け、礼をしっかりとしてから退出するというような。

神様や仏様に丁寧に向き合い、そして又こちらも見て頂けるように。

落ち着いた雰囲気の中でお参りがしたい…。

 

そんな思いを経て、

15日までが松の内という関西型にあやかるようにして、

ゆっくりと遅めに参拝するようになったのだ。

昨年は近所の産土神社だったので、

今年はどこか大きな神社に…と考えている。

 

 

馨公(よしたか)

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おめでとうございます

明けましておめでとうございます。

ブログ「虹の書斎」管理人の馨公(よしたか)です。

 

旧年中は当ブログにお立ち寄り頂きありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

〜〜〜〜〜

 

年が明けてこの2日間は、誠に素晴らしい快晴模様のお天気。

気持ちも自然に晴れやかになり、

まさに新年の恵み、といった感じのスタートを切った2017年。

こんな風に気持ちよく穏やかに明るく1年が進んでいけばよいな…

と願うばかりですが、

現実世界の状況を鑑みると、

この願いはだいぶ希望的・楽観的に過ぎるものなのかもしれません。

 

けれど、

厳しい世界情勢や社会的・経済的閉塞感、

様々な要因に煽られて、危うさと不穏さが増す世の中の動勢など。

不安材料ばかりが目につく昨今だからこそ、

そうした大きな時代のうねりのようなものにとらわれるのではなく、

普段通りに地に足をつけて日常を生き、

暮らしに幸せを描いて、健康に1年を過ごす意義。

そこに、個としての重心を置いておきたいと思えてきます。

 

この年明けの夕方以降の空を見上げれば、

月の真横に燦然と、というか猛然と輝く、

素晴らしく美しい金星が見えます。

 

三日月の本当にすぐ隣に光る金星は、

笑う口とその横にあるホクロやえくぼみたいにも見えて、

空からニッコリされてる新年、みたいな風情です。

吉星の筆頭の金星を得て笑う三日月…

なんて縁起がいい、これはこの年を指し示す瑞兆なのかな…

 

ぼくはこの1年に、やっぱりその吉兆への期待を持ち込みたい。

2017年の始まりの今、

危惧することよりも、信じてみようと思います。

 

幸わい咲う佳き1年となりますように。

 

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馨公(よしたか)

今年1年、ありがとうございました

こんばんは。

ブログ「虹の書斎」管理人の馨公(よしたか)です。

当ブログにお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

いよいよ大晦日ですね。

 

今年2月からスタートした当ブログ。

気ままに思うところをコラムや日記風に、または詩として書き綴るという、

本当にマイペースな私的ブログであるにもかかわらず。

 

少しずつお立ち寄りくださる方が増えて、

ありがたいことだなと感じながら、

無事に1年を締めくくることができました。

いつもお読みくださり、ありがとうございました。

 

不定期でポツポツマイペース…は変わらないとは思いますが、

2017年も、どうぞよろしくお願い致します。

 

インフルエンザやノロウィルスが流行しているそうです。

体調にはお気を付けて、良いお年をお迎えください。

m(_ _)m

 


馨公

声小さき者たち

人の涙をひとしずくずつ拭い

笑い顔に着せ替えて

ただただ話を聞くあいだ

頬を撫でるそよ風になって

毎日荷物をひとつふたつ

降ろす手伝いをひとつふたつ

誰かの呼ぶ声がするからと

利他の羽根を今日も整え

鳥のように羽ばたいてそこへ

自分をさし出すことはしないでね

あなたを失えないから

 

その子の冷たい手を取る両手

よろめく老人を支える両腕

重責に色めき立つ上司にコーヒーの香り

悲しみを秘め隠す友人へ温かな言霊

平らかな旅路を傍らから支える

利他色をした平熱の心

目立たぬ姿で日々を暮らし

誰かの呼ぶ声が聞こえたら

立ち上がり、そこへと向かうのでしょう?

自分を手渡すことはしないでね

君を失えないから

 

誰かの呼ぶ声が聞こえたら

立ち上がりまた向かうのでしょう?

あたりまえに自らを注ぐ

本能から優しい、声小さき者たち

どうか自分も大切に

手渡すことはしないでね

 

人の涙を拭いながら

ただただ話を聞くあなた

ひとりふたりとその背に手を添え

利他色の心を生きる君

 

 

馨公

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