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虹の書斎

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アカツメクサ(レッドクローバー)

 

シロツメクサとは別の場所で、アカツメクサの花を見つけた。

なんだか得した気分…うれし〜。

たっぷりの日差しを浴びて、葉の緑も生き生きと豊か。

植物たちがキラキラ輝いて見える。

 

アカツメクサシロツメクサは名前は対になっているけれども、

同じクローバーの仲間とはいえ厳密には別種で、

実際の姿はもちろんのこと、

それぞれが醸し出す生命の雰囲気や肌触りも、

結構はっきりと違っている。

 

素朴で平和な可愛らしさのあるシロツメクサは、

背が低くて横へと広がり、集団という印象を与えるのに対して、

アカツメクサは縦に50cmは成長し、

葉のつけ方や形が異なり、花も一つ一つという感じの咲き方をする。

まとまって群生はしていても、むしろ個の集まり…というような印象を受ける。

 

ところで。

アカツメクサの生命力は、花、茎、葉含めて威勢がよい。

説得力や感化する力のような、

何らか細かく…でもジリジリと、働きかけてくるパワーがあるのだ。

花を見つめていると何だかじわじわ暑くなってきて、

エネルギーがチャージされて血流が良くなるのか、

汗ばんでくるような体感を覚える。

 

優しい心根ゆえに熱っぽく説得をしてくる…

 

自分の前側から両肩に手を置かれ目を見て諭され、そのまま椅子に座らせられる…

 

そんな構図が不思議と心模様として浮かんできて、

はっ?なにこれ…

と頭の中でちょっと苦笑する。

でも、

その妙にリアルなイメージが、何とも興味深かったりもするアカツメクサの花、

なのである。

 

小さな花だけど大らかな熱さ温かさ。その奥にある思いやり。

表からは元気をチャージしてこちらの負を一掃し、

裏で手厚く癒し整えていくような、独特な誘導。

時々表裏がくるりとひっくり返って、優しさが表に溢れたりもするみたい。

 

濃いピンク色のアカツメクサの花は、

小さい花なのに頼りにしたくなる強さが備わっているようだ。

この花を前にすると、何となくたしなめられる気持ちというか、

自分を大事にしなさいよ…

自分も大事にしないとね…

と言われているような気がしてくるのである。

 

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馨公

シロツメクサ(ホワイトクローバー)

 

自然…心地よい風…草原…緑の波頭…草の葉音…

会話する声笑い声…寝転がってくつろぐ人々…

せせらぎ…小川…花々…木々…遠い山並み…

 

平和な風景をイメージすると、

脳裏にはいつも、花々の咲く水辺や穏やかな草原の風景が浮かんでくる。

風が渡り、降りそそぐ光が気持ちよくて、

複数のモンシロチョウがひらひらと飛んでいるような世界。

 

草原をよく見ると、

辺り一面には緑いっぱい、ワァーと三つ葉四つ葉のクローバーが広がり、

たくさんのシロツメクサの白い花が咲いている。

葉の上をてんとう虫がちょこちょこと歩き、

シロツメクサの花の蜜を吸いにきたミツバチが、

羽音を小さく響かせながらフワンフワンと飛んでは、

花から花へ渡っていく…

 

 

今、春本番の自然界では、

大地からたくさんのシロツメクサの花たちが、

じっくりじっくり、自然本来の平和を地上に育んでいる。

 

一方では鉄の力と火力、武器。

人の手による化学物質。

エゴの横行、欲の暴走が、力の行使と過度に結びついて、

きな臭い不穏さばかりが膨らんでいる。

 

世界中のあらゆる大地にもし、

鮮やかな緑のシロツメクサ、クローバーが健全に豊かに育ったならば、

ただそれだけで、

ずいぶん人の普段の心の景色も変わるような気がする。

シロツメクサが当たり前ではない国にもし、

その優しい風合いの花が当たり前に咲くようになったなら。

 

それともそれは、あまりにナイーブ過ぎる夢物語だろうか。

 

 

クローバーが広がる緑の大地。

シロツメクサの白い花とともに毎春を生きていける道。

 

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馨公

スター・オブ・ベツレヘム

 

道の脇の草地に、何か小さいものが光る。

ん?なんだろう…

心に従い、近寄って足を止めてみると、

あ、これはこれは!うれしい出合いだなぁ。

 

クッキリと鮮明な乳白色の花がちらほらと咲き、

身をかがめてまじまじと見る刹那、

陽の光の加減ひとつで、

目の覚めるような白が白金のように輝いたり、

微かに青みがかって、シルバーやプラチナをまとうようにも見えてくる。

 

こんなに普通に、なんてことなく道端にも咲くものなのか…

足元に注意しつつ、周囲に目を向けて歩いてみると、

意外に道端や歩道脇にも咲いている。

でものんびり散策ペースでなければ、

たぶん気が付けなかったかもしれない。

 

星型の花は花径3㎝前後、

草丈15〜20㎝ほどの小さなユリ科の植物、

スター・オブ・ベツレヘム

大地からずっと遠く、天空を見てるみたいな可憐な花が、

こちらを向いて風に揺れている。

トロリとなめらかな風合いの花びらにちょこっとだけ触れて、

こんにちは、と挨拶の声をかける。

 

間近でしっかり花を見ると、

その形体の見事さ、完璧とも思えるフォルムに感動させられる。

なんて美しさなのだろう…

6枚の白い花弁と黄色いしべが創り出す、

スター・オブ・ベツレヘムという花宇宙。

天地のバランスが完全に取れていて、

名前の通り六芒星

星をかたどった、まるで一つの結晶のようだ。

 

輪郭の定まった、明確な意図を感じさせる濁りなき白色の花から、

柔らかな精妙さを震えるように静かに放っているスター・オブ・ベツレヘム

神性を宿すような静かな威厳と、

繊細で品のある清楚さのコントラストが、

「華」を添えている。

 

日光の下で開くスター・オブ・ベツレヘムの花が、

夕暮れにさしかかり一斉に閉じていく。

「太陽よりも月や星に近いというか…夜に届く光の印象あるけどなぁ」

閉じてしまった姿に向かい、ひとりごちる。

 

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馨公

菜の花と過ごす午後

 

開花し始めてからもうひと月以上になるけれど、

まだまだ元気。

川べりや田の畦、農地や庭など、

今も至る所で花咲く姿を見せてくれている菜の花。

 

鮮やかな黄色が太陽の光を浴びて、

さらにキラキラと輝いている。

15時過ぎ頃は黄金感もピークといった様相、

直視が難しいくらいに、まばゆい感じだ。

 

風に揺れながら、菜の花達が気持ちよく何か歌を歌っているみたい。

その調べは風に乗り、

楽しげな歌声が辺りに渡り響いて、

春の平和が波のように田園に広がっていく…

 

そんなふうに、

菜の花の風景は軽やかに穏やかで明るく、

こちらの心へ朗らかに触れてくるものだから、

気持ちが自然と和んでしまう。

 

元気やパワーそのものを手渡してくれるというよりも、

ワァ〜と心を広げて笑顔にしてくれる、燦々の花。

菜の花達に囲まれて過ごす午後は、

黄色と光いっぱいの世界。

 

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馨公

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八重桜

 

重なり合う何枚もの花びらがフサフサしていて、

小さな芍薬(シャクヤク)のよう。

たくさんの花が寄り集まり、さらに大きな一つの花を創り出す。

数えきれないほどのそんな「大輪の花」が、

枝もたわむような勢いで咲いている。

「たわわに花が咲き実ってる」と表現するのがふさわしいくらいかも…

などと思えてくる八重桜の花姿。

空間を埋め尽くす充溢の趣で、今満開を迎えている。

 

白から桃色に至る鮮やかなピンクのバリエーションが美しい。

一つ一つの花にふっくらとした愛嬌があって優しいけれど、

ものすごい数が一気に咲いて、

しばらく花びらが落ちないものだから、

まるで花の詰め物をしたみたいに、ぎっしりたっぷり。

ボリューム感の印象の方が目立っている。

 

ソメイヨシノが開花している時の存在感には、

「豊かな広がり」とか「風に舞う花びら」のような、

のびのびとしたスペースや動き・移ろいが感じられるが、

八重桜の開花時を同じようにイメージで捉えると、

「凝結、濃密、生成、繁茂、老成」など、

むしろ内向きに集約する力がグッと効いている感じがする。

 

青空の下、

子供のように可愛らしいクリアで純真なエネルギーが、

花に光り乱舞し始め、

そして木全体からは、

それとは真逆の、老練の慈愛が霞のように滲みだす。

枝や葉から少しずつ、その独特の滋養が溢れて、

辺りを煙るように染め上げていく。

 

嫗(おうな)の年季の入った寛容と、

翁(おきな)の渋い優しみが同居する風格で、

どっしりと佇む八重桜。

独特の深いオーラにチャーミングで美しい花がキラキラ輝いて、

ハッとさせられる。

 

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馨公

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桜との縁(えにし)

 

子供の頃、家の近くに桜並木の二車線道路があった。

ソメイヨシノが開花し始める頃になると、

通り沿いの一本一本の木に提灯が吊るされて、

多くの人が訪れるお祭りが開催された。


 

道の両側から空中に、溢れんばかりに覆いかぶさるソメイヨシノ

その薄ピンクの花がこしらえる、数kmに及ぶ美しいトンネル。

春本番の景色が、どこまでも続くように見える通りは、

お祭りの際には歩行者天国となった。


アニメのキャラクターやおかめひょっとこのお面。

色とりどりの水ヨーヨー風船。

金魚すくいに興じる子供や、手をつないでそぞろ歩きをする親子。

あんず飴や綿あめを手に、或いはたこ焼きを食べながら行き交う人々。

 

途切れることのない人出で賑わう通りには多くの屋台が出店し、

子供心にも胸打たれ、絶句するような繚乱のソメイヨシノの世界も、

その時ばかりは、焼きそばやお好み焼きの美味しい匂いが漂うような、

お祭り仕様となるのだった。

 
朝から晩までワクワクと気分高揚したまま、

花盛りの中、春を愛でるお祭りを満喫したり。

満開の下、花を見ながら沿道をプラプラと散歩して、

揺れ落ちる花びらに目を奪われたり。

 
ソメイヨシノを主とする桜の並木道の存在は、

祭りの週末も、生活音に満たされる日常においても、

住民達の安心感の素地、心の寄るべそのものだった。

地域に平和の息吹をもたらす桜は、

生活の中に根付く「共に生きるもの」であった。

 


高校の通学ルートの途中にある土手の上1kmに渡って、

大きなソメイヨシノが立ち並んでいた。

白に近いピンクがこんもりとして盛大な、満開のソメイヨシノ

朝と夕、川沿いに連なるその様に心奪われた春は、

花観賞に臨む人たち、楽しげに花見の宴会をする人たち、

しあわせそうな笑顔と遭遇する春でもあった。

 
社会人になってまだ間もない頃に暮らした街は、

桜の名所のようなところだった。

駅前の並木のみならず、街中から住宅地に至るまで、

幾種類もの桜が当たり前のように植えられ花をつけた。

近所のスーパーへの行き帰りや散歩道の街角が、

いきなり格別な装いで現れたみたいなその風景美に驚いて、

足を止めては花を愛でたり、写真を撮ったりした。

 

そして、ずいぶんと月日を経た今。

早咲きの河津桜や緋桜のあとを受けて、

近所の大通りや、雑木林、田んぼ端、川沿い、丘の上、小さな公園や駅前の広場など。

ソメイヨシノは目の前の圧巻の満開姿から、遠景に白い霞のように立ち現れる花姿まで、

今年も見応えのある花模様を、存分に見せてくれた。

 


独特の濃いピンクが華やかで美しい早咲きの桜花。

優しく淡いピンクが、湧き立つように豪華に花咲き栄え、

膨大な花びらが風に乗ってハラハラと舞い散るソメイヨシノ。


 

何十、何百、何千、何万…

誰にとっても身近な桜との、時を超える関わり。

太く濃い絆で結ばれる、人と桜との縁(えにし)の物語。 

誰もが皆それぞれにそれぞれの桜との歴史…

忘れられない出来事、心揺さぶる思い出が、

存在しているのだろう。

 

先日、花散らしの冷たい雨が降った。

ここのところの強風が花吹雪を巻き起こし、

川面には大小さまざまな花筏ができている。

ソメイヨシノは春を先へと進めるGOサインのように、

自らの花びらを手放して、すでに新緑へと向かい始めている。

 

今年もまた1つ、今年だけの、

桜の花、ソメイヨシノの花との物語が紡がれた。

 

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馨公

 

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ATP1000マイアミもフェデラーの優勝

 

インディアンウェルズに引き続き開催された、

今年2戦目のマスターズ大会となるマイアミ・オープン。

 

今年はNo.1マレーとNo.2ジョコビッチをはじめ、

ツォンガやモンフィス等の上位選手が怪我や私的な理由により欠場。

他の選手にとってはポイント獲得のチャンスが広がる状況のもとで、

大会は始まった…のだが、

ティエム、チリッチやディミトロフといった、シード選手が早い段階で敗退し、

ラオニッチも怪我のために棄権を余儀なくされ、

トップシードのワウリンカは4回戦で、

錦織選手も準々決勝で残念ながら敗退した。

 

暑さと湿度による過酷なコンディションが、

選手に忍耐を強いる中で行われた決勝は、

ナダル vs フェデラー

因縁の場マイアミでのライバル対決は、今年3度目のマッチアップ。

試合は、駆け引きが緻密に行き交う密度の濃いストロークの応酬で、

程よい緊張感が終始保たれた、見応えある内容だったが、

結果だけを見れば6-3,6-4というストレートのスコアでの決着となった。

 

優勝は、ロジャー・フェデラー

インディアンウェルズに引き続き、2大会連続、

マイアミオープンは通算3度目、

マスターズ1000は通算26勝目の優勝だった。

 

マレーとジョコビッチが怪我で休んでいたり、早期敗退したり…、

好不調はさておきビッグ4の2人が不在という組み合わせの妙も、

もしかしたら多少は関係あったのかもしれないが、

2017年はここまでのところ、

フェデラーのバリエーション豊かで華麗な高速テニスは完全に他を圧倒し、

誰もフェデラーを攻略できていない。

男子テニス界を支配し、独壇場となっている。

 


インディアンウェルズでは大変な死のブロックができあがって、

テニスファンからすれば、どうなるのだろう…誰が勝ち上がるのか…と、

ワクワクソワソワするようなラインナップだったが、

死のブロックから全試合ストレート勝ち、

優勝したのはフェデラーだった。

 

オーストラリアでは、

錦織圭、ワウリンカ、そしてナダルとのフルセットを越えての優勝であり、

マイアミにおいては、

ベルディヒ、激闘となった準決勝のキリオスとの試合、

そしてナダルとの決勝を越えて、優勝した。

 

ストレートで軽やかに勝利…であれ、

数々の拮抗した試合内容でのギリギリの勝利…であれ。

多くのトップランカー達を実力で撃破し、

次代のエースの、若手らしいパワフルで躍動感のあるテニスと真っ向からぶつかり、

その上で、オーストラリア、インディアンウェルズ、そしてマイアミの3大会で、

35歳で!優勝を果たしたのだから、

文句のつけようがない王者ぶりである。

本当にフェデラーは凄い…。

 


年齢と老化、怪我。パワーやスタミナの衰え。疲労と回復力…。

フルスロットルでプレイし続けることが叶わない条件で、

では最良はどれか?押すのか引くのか?

どういうバランス、配分が最適なのか?

事前準備とともに、その時その相手に合わせて臨機応変にシステムを変更し、

頭を働かせ身体と連動させて、

その時その相手への最適を最高のレベルで抽出・選択して、

最強を提示するテニス。

 

今年のフェデラーを観ていると、

そういう類の細やかで綿密な調節を、

常に瞬時に行っているような印象を強く受ける。

 

まだまだ1年の序盤。

年齢からすれば、休み休み進めたとしても、

他の選手よりも疲労が蓄積しやすく回復も遅いかもしれないフェデラーは、

ここからのクレーシーズンを休養にあてるとコメントしている。

全英、全米など、得意とするサーフェスの大会はまだまだ幾らでもある。

今年の獲得ポイントはすでに4000を超えてダントツであり、

ツアーファイナル出場も、怪我や何らかのトラブルなど、

余程のことがない限り、もう確定したとさえ言えそうなレベルにいる。

 


マレーやジョコビッチ、その他のトップランカー達は、

休みを経てリハビリを越えて、更に脱皮して現れたそんなフェデラーと、

進化を遂げて開花したその高速のテニスを見て、

何を思うのだろうか。

フェデラーバージョンの最先端テニスを、最年長者自らが創出しコートに戻ってきて、

素晴らしく研ぎ澄まされたそのテニスで世界中を虜にしている。

 

その精神の気高さとテニスへの計り知れない愛と献身。

勝負へのこだわりと、プレイすることを楽しんでいる姿。

脱帽だ、という尊敬、称賛の思いは皆あるのかもしれない。

けれども、フェデラーの頑張る姿にハッパをかけられて、

負けてたまるか、という気持ちが、

フツフツと他の選手の心の中で湧いてきていてもおかしくはない。

 

ここからは全仏までクレーのシーズン。

マレーやジョコビッチも戻ってくるし、何よりクレーのナダルが楽しみだ。

そして、今後ずば抜けた活躍をしそうな、A.ズベレフとN.キリオスからも目が離せない。

もちろん錦織選手も怪我さえ良くなれば、欧州のクレーとは相性もよいし、

屈指のリターナーの力が発揮されることになる。

 

想像もつかないほど昨年とは異なる3ヶ月、

今年の序盤が終了した。

 


馨公

メンズ・セルフエステ 3

 

2からの続き

 

肌ケアを励行するような男性が今に比べてまだまだ少なかった頃に、

メンズのコスメやエステ市場開拓の動きをにらみ、

実施を試みた対男性のエステ講習。

今でも不意に、

中高年男性陣のあの喜びにあふれた無邪気な笑顔が、

脳裏をよぎることがある。

 

男の美にまつわることに、自然発生的に恥ずかしさや忌避感を感じ、

男性の肌ケアに対しては「男らしくないから…」と、

心理的・感情的に否定含みの反応を示す中高年世代。

育ってきた時代の影響や、未知のエリアのことであるが故に、

食わず嫌いや偏見のような壁をもってネガティブに捉えてしまうのは、

仕方がないことなのかもしれない。

 

ただ中には、本当は肌ケアに興味があり、

可能なら試してみたい…できるようになりたい…

と密かに思っている人や、

いざ試してみたら楽しい…

と肌ケアへの態度を改める人もいるかもしれない。

その潜在的な数は決して少なくないだろうと、

あの講習での参加者達の笑顔が教えてくれているように思う。

 

知るきっかけ始めるきっかけ、その手立てがなくて、

できないままになっている男性が、今も世代問わずいるとしたら、

それはとても残念なことだ。

例えば、男性は毎日のように髭を剃るが、

肌表面を刃でこそぎ取られるダメージを日々受けている肌には、

美容というより健康に寄与する意味での予防・防御が必要であり、

肌のケアを通しての適切な保湿・保護がマストだからである。

 


今ではメンズエステという言葉を、

当たり前に見たり聞いたりするようになった。

男性用のコスメブランドは、以前と比べてずいぶん立ち上げられ、

肌ケア商品も、用途に合わせて幾種類も発売されている。

若い世代を中心に、肌のケアをきちんと心がける男性が増え、

生活習慣の中にすでに浸透していることを窺わせる。

 

世の中を見ても、

例えば、販売・接客業を仕事にしている人や、

女性を相手とする仕事などに従事する人には、

整った清潔感のある肌の人が多い印象がある。

社会人としても、エチケットやマナーとしても、

きちんと意識して手を入れていることが見て取れる。

 

「男だから肌のケア不要」という、

ネガティブな観念でできた分厚い壁を何とかできないものか…

誤った認識なのではないか、もうその古い型は手放してよいのでは…

そう常々思ってきたが、

「男子の美」もしくは「男性の整い」に慣れ、受容しつつある今の社会には、

むしろそれを男性に要求する風土ができてきているように見える。

デフォルトとして、暗黙のうちに男性に肌ケアを促進する社会…

いつの間にか潮流は変わっていたようである。

 


「美」というよりは「整」「清」をメインの目的として、

個々人を代表する場でもある顔を、肌を、

健やかに保つサポートをする男性の肌ケア。

 

男性が肌を整えることをポジティブに捉え、

シンプルに肯定することができる世代が

これからの社会やトレンドの主導権を握っていく。

大袈裟な言い方かもしれないが、

男性の美と健康、肌ケアなど。

新しいパラダイムが構築される道の、

今は途上を進んでいる…ということなのだろう。

 


馨公